@article{oai:kyoei.repo.nii.ac.jp:00000127, author = {田中, 卓也 and Tanaka, Takuya and 田中, 卓也 and Tanaka, Takuya}, issue = {12}, journal = {共栄大学研究論集}, month = {Mar}, note = {1925(大正 14)年に集英社は、老舗出版社であった小学館の「娯楽雑誌部門」として分離独立した。翌年に正式独立し、「明るく楽しい少年少女雑誌」をキャッチフレーズとして、これまでに多くの雑誌を発刊した 1)。戦後になり同誌は、おもに就学前の児童から小学校児童の男子・女子に購読されていた。誌面は戦前から存在した「小説」、「物語」のほかに、マンガ、スポーツ記事や読者投稿欄なども設けられ、読者等の多くに‶娯楽"の雰囲気を提供した。読者らが集った投稿欄は "文ちゃんクラブ" とよばれ、愛読者にも人気を博した。そこに集うことで読者らは、(編集)記者と交流を図ることや、愛読者仲間を見つけ出す機会となった。またマンガの主人公や、スポーツ選手等に憧憬し、読者等のなかには次第に"ヒーロー像"が確立されることになった。 かくして『おもしろブック』は、集英社より戦後の児童雑誌の転換期に登場し、児童読者の興味・関心が分化する流れの中で、対応することに迫られた。しかしながらテレビの放映開始、マンガの流行等大きな波が押し寄せる中で、幾度か誌面構成を変更することも余儀なくされた。しかしながら編集部は読者のことを最後まで忘れなかった。同誌は発刊後 10 数年間にわたり役割を果たし、次世代雑誌『少年ブック』にバトンを渡すことになる 2)。}, pages = {145--170}, title = {児童雑誌『おもしろブック』に関する読者の研究}, year = {2014}, yomi = {タナカ, タクヤ and タナカ, タクヤ} }