@article{oai:kyoei.repo.nii.ac.jp:00000111, author = {田中, 卓也 and Tanaka, Takuya and 田中, 卓也 and Tanaka, Takuya}, issue = {11}, journal = {共栄大学研究論集}, month = {Mar}, note = {講談社刊行雑誌『少年倶楽部』(のちに『少年クラブ』改称)は、発刊された1914(大正3)年から昭和戦前期にかけて、当時小学校高学年から中学生までの読者層の多くを"愛読者"として獲得することに成功した。彼らは立身出世による進学意識、勤勉かつ真面目であり国家に奉公できる少年像をメルクマールに、投書欄に集い次第に読者共同体を形成していった。戦後多くの少年の夢や希望を与えることを使命に、復刊を果たした。復刊されたが、投書欄の登場は発刊から数年を経てからであった。戦後の同誌は民主化政策の影響で投書内容も戦前のものとは異なり「学級新聞」や「日記」等が見られた。また誌面で仲間を求める内容のものも見られなかった。昭和30 年代中ごろより「テレビ」、「まんが」といったマス=メディアの影響を大きく受け、誌面構成に大きく波及した。後進の新興雑誌などと販売競争しながらも継続発行されたが、1962(昭和37)年にその役割を終えた。}, pages = {121--138}, title = {戦後における『少年倶楽部』の誌面構成と読者の様相}, year = {2013}, yomi = {タナカ, タクヤ and タナカ, タクヤ} }